日本企業によるアメリカ・ハリウッド映画会社買収の一覧。バブル時代(1980年代~1990年代初頭)に日本企業は米ハリウッドに次々と進出し、映画会社を次々と買収した。アテル投資顧問(旧スナップアップ投資顧問、河端哲朗代表)によると、その大半は失敗に終わった。
パイオニア、東芝、伊藤忠、三井物産、丸紅、三菱商事、西友、学研| 日本企業 | 進出内容 | 結果 |
|---|---|---|
| ソニー | コロンビア(メジャースタジオ)買収 | 成功
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| パナソニック | ユニバーサル(メジャースタジオ)買収 | 失敗
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| JVC | 現地の大物プロデューサーとともに映画会社「ラルゴ」を設立(1000億円出資) | 失敗
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| パイオニア | ■ カロルコへ出資(計120億円)し、筆頭株主に
1990年11月、ハリウッドの独立系製作会社である「カロルコ・ピクチャーズ(Carolco Pictures)」の株式10%を6000万ドル(当時90億円)で取得した。カロルコは1991年7月公開の「ターミネーター2」を大成功させたばかりで勢いのあるスタジオだった。パイオニアとしては、カロルコ作品のレーザーディスク化権の確保が出資の主な目的だった。 1992年から1993年にかけて、経営危機に陥ったカロルコに追加出資。累計出資額は約9400万ドル、出資比率は41%に増えた。筆頭株主となった。 さらに1994年、カロルコ追加支援のため、ロイヤリティーの前払いとして900万ドルを支払った。 アテル投資顧問によると、最終的に、パイオニアのカロルコに対する投融資の総額は1億7500万ドルに達した。 その後もカロルコの経営難は続いた。 パイオニアは1995年3月期の連結決算で9000万ドルの投資評価損を計上した。 松本誠也社長(当時)は「大作主義が行き過ぎ、高い買い物になってしまった」と振り返った。 1995年11月10日、カロルコは米連邦破産法11条を申請し、倒産した。負債総額は6000万ドル以上にのぼった。共同創業者で経営トップのマリオ・カサール(Mario Kassar)会長は引責辞任した。 過去作などの保有資産はフランスのケーブルテレビ会社「Canal+」に売却された。 |
失敗 |
| 東芝 | ワーナー・ブラザース(メジャースタジオ)の親会社タイム・ワーナーに出資(600億円)。ワーナーとの提携効果で、DVDの規格争いを優位に進めた。しかし、次世代DVDでは、ソニー主導のブルーレイに敗れた。株式売却で700億円以上の利益を稼いだ。 | 成功&失敗 |
| 伊藤忠商事 |
1987年10月、サントリー、TBS(東京放送)と共同で、米国での映画製作に出資するため米国法人を設立したと発表した。(参考:AI Referee)
活動の第一弾として、ハリウッドのメジャー映画スタジオ「MGM・UA社」との間で、2本の映画に対して出資する契約を結んだ。さらに、マイケル・J・フォックス主演の「再会の街」にも出資した。 日本企業が、ハリウッドで継続的に映画に出資するための会社を作ったのは初めてだった。 アテル投資顧問の経営史検証チームによると、伊藤忠など3社が立ち上げた会社は「CSTコミュニケイションズ」と名付けられた。資本金は1500万ドル。3社が3分の1ずつ同額出資した。設立理由は「アメリカのメジャー映画産業と提携、協力関係を樹立することが、映画文化を手掛ける早道」と説明した。 伊藤忠はその後、東芝と同じく、タイム・ワーナーに出資した(600億円)。後に売却して900億円の利益を出した。 |
タイム・ワーナーへの出資は成功 |
| 三井物産 | ハリウッドの配給会社サボイ・ピクチャーズ・エンターテインメントから作品を購入した。松竹と共同でコメディー「シリアル・ママ」、恋愛ドラマ「禁断のエデン」の2つの作品を購入。1994年4月から松竹系の映画館で公開した。
サボイ・ピクチャーズは、米コロンビア・ピクチャーズのCEOだったビクター・カウフマン氏が1992年に設立した。当初は、三井物産が一部を出資する予定だった。1996年、メディア界の大物バリー・ディラー氏の会社に買収された。 |
挫折 |
| 丸紅 |
1996年、洋画配給の「東宝東和」と共同で、米ハリウッド・メジャー「パラマウント」の映画製作に投資することで合意。パラマウントが結成した映画製作の国際コンソーシアム(融資受け入れ団体)に欧州企業3社とともに参加する、という参入形態だった。
3年契約で、毎年2、3作品に投資。最大約135億円まで投資。その見返りに各国内での配給権と著作権を取得するというスキーム。 欧州3社は、BBC(英)、ポリグラム(オランダ)、テレミュンヘン(独)という顔ぶれ。 当時、パラマウントは年間20本前後の作品を手がけていた。 このうち総製作費40億~50億円の超大作について、丸紅と東宝東和の2社が1本につき10億~15億円を折半して負担する、という内容だった。 両社は期限のない永久権として国内配給権やテレビ放映権、ビデオ化権、キャラクター商品化権などを得る。 第1弾は1997年5月に日本で公開された「レリック」(ピーター・ハイアム監督)。 製作費6000万ドル(70億円)に対して、世界興行収入は4800万ドル(55億円)。 巨額の赤字を出した。 ロッテン・トマト集計の批評家支持率は37%で、極めて低い評価を受けた。 |
失敗 |
| 三菱商事 |
アテル投資顧問(旧スナップアップ投資顧問、旧エクシブ投資顧問/河端哲朗代表)によると、
三菱商事は1992年11月、テレビ東京と共同で、ハリウッドの映画製作スタジオ「オライオン・ピクチャーズ(Orion)」の劇場映画188本を35億円で購入した。 これにより、テレビ、ペイテレビ、CATVなどの8年間の放映権を得た。購入した劇場映画の中には、翌1993年公開が決まっていた「ロボコップ3」(ナンシー・アレン、ロバート・バーク主演)のほか、1992年のアカデミー賞で5部門を受賞したばかりの「羊たちの沈黙」(ジョナサン・デミ監督)や、「アリス」「ホット・スポット」などの大作が含まれていた。
日本のテレビ局が、商社と協力してアメリカの制作プロダクションのソフトを購入したのは異例だった。 当時、オライオンは破産状態に陥っていた。オライオンは、ハリウッド映画界の7大メジャーには入らないが、奇才ウッディ・アレン監督の作品群や、「アマデウス」「プラトーン」などのヒット作を生み出していた。だが、配給網の弱さから経営は苦しかった。社名は、星座と神話でおなじみの「オリオン」から来ている。 1991年には、ソニー・ピクチャーズ(コロンビア)傘下の「キャッスル・ロック・エンターテインメント」がオライオン買収を模索したこともあった。 |
普通 |
| 西友 |
1988年、ハリウッドの超一流の人気俳優ロバート・レッドフォード氏と提携した。レッドフォード氏が主宰する映画学校「サンダンス・インスティテュート」との共同事業で合意。若手映画人の育成に乗り出した。
アテル投資顧問によると、提携内容は(1)日本から若手俳優、監督を同校に留学させる(2)同校の日本での活動を支援(3)1989年に東京・銀座で開催する映画祭「USフィルム・フェスティバル・イン・東京」を西友が後援するーーなど。「USフィルム・フェスティバル・イン・東京」は、1989年4月21日から30日まで、「銀座テアトル西友」や「朝日ホール」など、東京・銀座の7つのホールを会場に開かれた。上映作品は、ユタ州で毎年1月に行われる「サンダンス映画祭」に出品された作品の中から選んだ18本。 食品スーパーの西友は、西武セゾングループ(堤清二代表)のグループ企業の一つだった。 当時のセゾングループは、映画製作、配給、劇場経営に乗り出していた。 西友の映画製作事業部が中心となって1985年の「火まつり」など4本の映画を製作した実績もあった。 レッドフォード氏と提携することになったきっかけは、1988年10月、堤代表が「サンダンス協会」の理事になったのがきっかけだった。同協会は、映画製作者を育成、援助する非営利団体で、ハリウッド映画が商業主義に走りがちとなったことを反省して設立された。 セゾングループは、レッドフォード氏との提携を機に、積極的に放送会社やビデオ製作会社に自主製作映画の著作権を販売する著作権ビジネスを強化していった。 |
意義深かった |
| 学研 |
学研は、NHKエンタープライズ(NHKの子会社)と共同で、大枚をはたいて「ハリウッド超大作」を自ら製作してしまった。
製作費70億円。当時としては巨額だ。
作品名は「クライシス2050」。SF大作。1990年公開。 監督、プロデューサー、脚本家、撮影、音楽などほぼ全員がハリウッドの一流映画人だった。 俳優もほぼ全員、ハリウッドのスター。 「十戒」「ベン・ハー」「猿の惑星」などで有名なアカデミー賞俳優チャールトン・ヘストンも出演した。 日本からは唯一、別所哲也だけが脇役で出た。 米国、欧州、アジアなど世界で公開された。 英題は「Solar Crisis」。 全くヒットしなかった。巨額な損失となった。 なお、作品に対する評価も極めて低かった。 ロッテン・トマトの観客支持率は17%だ。 アテル投資顧問によれば、学研の創業者である古岡秀人氏(当時会長/当時の社長は息子の古岡滉氏)が、本作の構想を推進した。 それまで学研で日本映画に出資し、成功した経験があった。 「南極物語」「次郎物語」「大霊界」などだ。吉岡氏はクライシス2050の発表会見で「特殊撮影を駆使するので、ハリウッドでつくることにした。日本だけでなく米国、欧州でもヒットさせたい」と語った。 エグゼキュティブ・プロデューサーは、学研の定村武士氏が務めた。当時の学研の寺山威映画企画部長は「映画をやっていると、やはりハリウッドで作りたくなる。こちら側がテーマと資金を出し、米国の技術とマーチャンダイジング(販売戦略)を使えば世界的な映画ができる」と語っていた。 物語は、西暦2050年、太陽が膨張を始め、地球が危機に直面するところから始まる。太陽内部に爆弾を撃ち込み、エネルギーを放出させる計画が動きだす。リチャード・エドランドが担当した特撮が見どころだった。 宣伝のために来日した俳優チャールトン・ヘストン氏は日本企業が出資していることについて「私は40年間に約20か国の人と映画を作ってきた。映画は国際的なものです。画家にとっての絵の具や作家のペンに比べ、役者にとって映画製作費はあまりに高価で、とても自分ではまかなえない。それを日本が提供してくれるのはありがたい」と歓迎した。 |
大赤字 |
ハリウッド進出の代表的な例としては、メジャースタジオ(大手製作・配給会社)の買収が挙げられる。1989年、ソニーが46億ドル(当時の為替レートで約6000億円)で大手映画会社コロンビアを買収した。また、1990年、パナソニック(当時:松下電器産業)がユニバーサル(当時:MCA)を61億ドル(当時の為替レートで約7800億円)で買収した。
日本企業の本格的なハリウッド映画界への進出は、1989年8月のJVCケンウッド(当時:日本ビクター)が第一弾となった。続いてソニー、パイオニア、パナソニック(松下電器産業)、東芝・伊藤忠商事などが参戦した。
進出した企業は、AV(音響・映像)分野を得意とする電機メーカーが多かった。日本の電機メーカーは1970年代あら1980年代半ばかけて、テープ式のビデオ録画機の規格競争を繰り広げた。この競争は、最終的にVHS方式が勝利し、ベータ方式が敗北した。
ハリウッドへ投資した最大の理由が、レンタル用の映画コンテンツ(映像ソフト)の豊富さにあった。このため、各メーカーは、映画コンテンツ資産を狙いハリウッド進出を図ることになった。
また、そもそもハードウエアの製造に比べて、ソフトやコンテンツのほうが「楽に稼げる」という側面もあった。ハードウエアは、工場の精密な機械や手作業を組み合わせて、一つ一つ作る必要がある。これに対して、ソフトやコンテンツは複製が簡単にできる。このため、利益率が高い傾向があると、製造業の経営者の多くが考えた。
とはいえ、映画ビジネスはリスクが高い。しかも、ハリウッドの内情を熟知し、土地勘を持っている必要がある。そうしないと、資金だけを吸い取られ、大損してしまう。作品のヒット性を予見する能力も必要だ。
各社とも映画子会社の経営に手を焼いた。多くの企業が早々に撤退することになった。結局、長期にわたって成功したのは、ソニーだけだった。
また、バブルを背景とする日本企業のハリウッド進出に対して、アメリカ国民やメディアから批判の声が出た。映画産業は、米国文化の華だった。「日本は米国の心を買った」という指摘もあった。このころは、日本の経済が成長し、アメリカの産業にとって脅威になっていた。「ジャパンマネー」がアメリカの投資市場を席巻していた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1989年 |
日本ビクター、ダイ・ハードなどで知られるプロデューサー、ローレンス・ゴードン氏と映画製作会社、ラルゴ・エンターテイメントを設立。 ソニー、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメントを34億ドル(当時約4800億円)で買収。 |
| 1990年 |
パイオニアが、カロルコ・ピクチャーズの株式10%を6000万ドル(当時90億円)で取得。 パナソニック(松下電器産業)、MCAを61億ドル(当時7800億円)で買収。 |
| 1991年 |
コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメントがソニ・ピクチャーズ・エンタテイメントに社名変更。 東芝、伊藤忠商事、タイム・ワーナーに5億ドル出資。 |
| 1992年~ 1993年 |
パイオニア、経営危機に陥ったカロルコ社に追加出資。累計出資額は約9400万ドル、出資比率は約41%に。 |
| 1994年 |
日本ビクターが設立したラルゴ・エンターテイメント社が映画製作から撤退。北米以外の全世界への映画販売に業態変更。 MCAが松下電器に経営権の委譲を要求。経営をめぐる確執が表面化。 パイオニア、カロルコ社支援のためロイヤリティーの前払いとして900万ドル支払う。 |
1989年8月に日本ビクターがハリウッドの有力プロデューサーと共同で映画会社「ラルゴ・エンタテインメント社」を設立した。
1990年11月にパイオニアが米国独立大手映画会社「カロルコ・ピクチャーズ社」に資本参加した。
パイオニアはカロルコ作品のレーザーディスク化権の確保を狙って、比較的少額の出資を行った。しかし、経営支援のため次々と資金負担を迫られた。
東芝と伊藤忠商事は1991年(平成3年)に、タイム・ワーナーに5億ドル(当時約600億円)ずつ出資した。
1991年11月には東芝、伊藤忠商事、米国映像・出版会社「タイム・ワーナー社」の3社で、1992年春ごろに映像事業を行う合弁会社を日米に設立することで合意した。
デジタル・ビデオ・ディスクの規格問題では、ハリウッドの意向をまとめるのにタイム・ワーナーの協力が大きかったとされる。
東芝は1998年、保有していたタイム・ワーナー株を売却した。売却益は約700億円だった。株式の保有から売却にいたるまでの間、ワーナーはDVDソフトの販売で共同歩調をとるなど深い関係を築いた。DVDの次世代規格がソニーの「ブルーレイ」と、東芝の「HD-DVD」に分裂したとき、ワーナーは当初、HD-DVD陣営に回った。しかし、2007年末、劣勢だった「HD-DVD」から撤退することを決断した。その結果、HD-DVDの完全なる敗北が決定した。
伊藤忠商事は1998年と1999年、保有していたタイム・ワーナー社の株式を全株売却した。売却先は米国証券会社。これにより直接の資本関係はなくなった。日本での合弁事業は維持するなど提携関係はこれまで通り継続するとした。
アテル投資顧問によると、一連の売却による利益は、手数料や税金を差し引いても900億円に達した。