参照:スナップアップ投資顧問の対米投資分析

アカデミー賞作品賞「レインマン」のピーター・グーバー

スナップアップ投資顧問の対米投資に関する資料などによると、パナソニックがユニバーサル(MCA)株を手放した背景には、スタジオ経営陣(米国人)と株主であるパナソニックの対立があったと言われる。この対立は、1994年秋に表面化した。

現地では「“ジュラシック・パーク”のヒットでユニバーサルが一転して強気になった。日本資本がなくても、十分にやっていけると判断したのでは」との見方が出た。

それ以外の売却理由には、バブル崩壊後のパナソニックの業績低迷もあった。

ジュラシック・パークの大ヒット

ユニバーサルそのものは、業績は好調だった。1994年3月期の営業利益が推計約3億ドルに上った。ユニバーサルは1993年の「ジュラシック・パーク」が世界中で興収9億ドル(約900億円)を超える大ヒットになった。ハリウッドに投資した日本企業としてはもっとも好調とみられていた。

しかし、パナソニック全体が不調だった。61億3000万ドル(当時約7800億円)に上ったユニバーサル買収金額は松下の大きな経営負担となった。連結ベースの金融収支は1990年3月期に1000億円以上の黒字だったが、1991年3月期には赤字に転落していた。

また、ユニバーサル買収は業績回復など具体的な効果にもつながっていなかった。パナソニックとユニバーサル両社の提携事業はゲームソフト分野だけで、買収当時にもくろんだ「ハードとソフトの融合」は全く進んでいない。

ゲームで失敗

また、マルチメディアプレーヤーとして1994年発売した「3DOリアル」が目標販売台数を割り込んだ。ソフトの充実でハードの販売拡大を図るという相乗効果も発揮できなかった。

パナソニックは、ユニバーサル売却により、マルチメディア時代の核となるはずだったソフト資産を失った。

ユニバーサル(MCA)の1993年に、パナソニック社長に森下洋一氏が就任した。それ以降のパナソニックは、「ハードへの回帰」を新たな経営戦略に据えた。家電を中心とした“もの作り”と、販売の強化という松下本来の強みを生かし、再生を図った。

シーグラムはデュポン株を売却し、買収資金を確保

なお、シーグラムのMCA買収費用は、米大手化学会社デュポンの持ち株25%の大半を売却した資金88億ドルを充当された。

バブル時代の「机上の空論」

パナソニック(松下電器産業)はバブル時代、ライバルのソニーに続いて、ソフトビジネスに本腰を入れ始めた。1991年初にユニバーサルを買収した後、最高経営会議機関「エグゼクティブコミッティー」のもとに、「AVソフト室」を設置した。日本ビクターまで含めたグループ全体のソフト戦略を推進することになった。

また、1991年7月には、「MCA技術委員会」「MCAハード事業チーム」も設立した。これらはユニバーサルの持つ膨大なソフトを新製品開発につなげるための組織だった。

MCA技術委員会では、新しいコンセプトのもとで製品開発を行うには、どのような技術的問題があるかを検討する。それを、MCAハード事業チームで、最終製品の開発、企画を手がけた。

そして、1992年初には、パナソニックとユニバーサルとで「ビジョン委員会」「共同開発委員会」「財務委員会」の3委員会を設けた。これらの委員会によって、ハードとソフトを結びつけた新製品開発を加速化しようとした。

つまり、ソフトとハードの複合化することで、ハイビジョンやデジタル化の時代が本格的に到来しても、業界でのリーダー的存在を確保しようという狙いがあったのだ。「DVD」の規格争いでも、ソフトが勝負を分けると考えられていた。

しかし、これらの発想は、いわば「机上の空論」だった。バブル経済に酔いしれている経営者から生まれた発想だ。