JVCケンウッド(当時:日本ビクター)はバブル経済がピークだった1989年、米国ハリウッド映画業界に進出した。スナップアップ投資顧問のエンタメ業界に関する分析資料によると、映画製作会社「ラルゴ・エンターテーメント(Largo Entertainment)」(カリフォルニア州)を設立。大物映画プロデューサーのローレンス・ゴードン氏と50%ずつの折半出資により発足した。ゴードン氏は「ダイ・ハード」などの大ヒット作で有名。社長にはゴードン氏が就任した。ビクターの投資額は1000億円を超えた。
進出年 | 1989年(バブルのピーク) |
---|---|
撤退年 | 2001年 |
進出形態 | 新しい製作会社の設立 |
会社名 | ラルゴ |
英語の会社名 | Largo Entertainment |
パートナー | ローレンス・ゴードン (映画プロデューサー) |
当初の投資額 | 1000億円超 |
製作した主な映画 | 「マルコムX」 「ゲッタウェイ」 「タイムコップ」 「ハートブルー」 |
顛(てん)末 | 会社の解散 |
ラルゴは20本以上の映画を単独または他社との共同で製作した。スパイク・リー監督の「マルコムX」(1992年)も手がけた。ヒット作も出た。 しかし、赤字が続いた。ゴードンは1994年に退社。ラルゴはJVCの100%出資に切り替わった。2001年にラルゴは消滅し、ビクターはハリウッドから撤退した。
■■ このページの目次 ■■
日本ビクター(現:JVCケンウッド)は、VHS方式のビデオの生みの親だった。VHS方式のビデオテープ録画・再生機は1980年代以降、日本を含む世界の家庭に急速に普及した。ビクターはVHSの盟主として勢いがあった。
ビクターは1984年、VHS用の映画ソフトを確保するため、米ハリウッドに乗り込んだ。 米映画メジャースタジオ「パラマウント」と「ユニバーサル」が出資するビデオソフト会社「CIC」と合弁で、「CICビクター・ビデオ」を設立した。 こうした経験をふまえ、1989年には、映画制作会社「ラルゴ・エンターテインメント」設立。世界の映画ビジネスに本格参入を果たした。
名前 | ローレンス・ゴードン |
---|---|
英語表記 | Lawrence Gordon |
職業 | 映画プロデューサー |
得意分野 | アクション大作 |
出身 | 米南部ニューオリンズ |
前勤務先 | 20世紀フォックス社長 |
過去の代表作 |
|
JVC進出時の年齢 | 54歳 |
ラルゴ退社年 | 1994年 |
ラルゴ退社後のパートナー | 米ユニバーサル |
VC組を去った後の代表作 |
|
ラルゴ設立のパートナーとなったローレンス・ゴードン氏は、映画プロデューサー。当時54歳だった。ゴードン氏は、大ヒットした「ダイ・ハード」シリーズで有名だ。また、1990年のアカデミー賞で作品賞などにノミネートされた「フィールド・オブ・ドリームス」でも、プロデューサーを務めた。また、日本人に大受けした「ストリート・オブ・ファイヤー」でも共同プロデューサーだった。後にソニーの映画会社のCEOとなるピーター・グーバース(当時47歳)のような辣腕プロデューサーと言われた。ちなみにストリート・オブ・ファイヤーは、キネマ旬報ベストテンの外国映画部門で作品賞(1位)に選ばれている。
ゴードン氏は1984年から198年まで、20世紀フォックス(現:20世紀スタジオ)の社長を3年間務めていた。日本ビクターによる引き抜き額は7億ドル(約1050億円)と推定された。ビクターはゴードン氏と「ラルゴ・エンターテイメント」社を設立するだけなく、製作費として1億ドル(約150億円)を投資した。
ラルゴの記念すべき第1作は「ハートブルー」だった。アクション映画だ。この映画について、ローレンス・ゴードン氏は以前から映画化構想を持っていたが、ハリウッドのメジャー映画会社から「NO」と言われたという。監督はキャスリン・ビグローが務めた。ビグロー監督は女性。当時39歳だった。
ビグロー監督は後に「ハート・ロッカー」でアカデミー賞の作品賞を獲得。同時に、女性として史上初の監督賞も受賞した。
「ハートブルー」は豪華キャストだった。主演は若手スターのキアヌ・リーブス(当時25歳)と「ゴースト・ニューヨークの幻」のパトリック・スウェイジ(当時38歳)。エディ・マーフィーやウィルスを発掘してきたゴードンらしいキャスティングだった。FBI捜査官とサーファーの友情を軸にしたゴードン版「ビッグウェンズデー」だった。
製作費25億円だった。これに対して、興行収入は90億円。まずまずの利益を出した。批評家からの評判も悪くはなかった。米国で興行収入ランキングで初登場2位。1位はビグロー監督の当時の夫ジェームズ・キャメロンが監督した「ターミネーター2」だった。
とはいえ、ラルゴは2作目から失速した。2作目「ニューヨークのいたずら」は、製作費25億円に対して興行収入12億円。大赤字(爆死)だった。「マルコムX」も高評価・高レビューを得て、主演デンゼル・ワシントン・ワシントンもアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが、商業的には失敗に近かった。
極めつけは、1993年10月に公開されたアクション映画「ジャッジメント・ナイト」。この年の唯一の作品だったが、製作費の半分しか回収できない大コケとなった。批評家の評判も最悪で、ロッテン・トマトのスコアは35%だった。
年 | 作品名 | 製作費 | 興行収入 |
---|---|---|---|
1991 | 「ハートブルー」 | 2400万ドル | 8350万ドル |
「ニューヨークのいたずら」 | 2200万ドル | 1100万ドル | |
「奇跡が降る街」 | 210万ドル | ||
1992 | 「不法侵入」 | 2300万ドル | 5710万ドル |
「Dr.ギグルス」 | 840万ドル | ||
「マルコムX」 | 3500万ドル | 4820万ドル | |
「迷子の大人たち」 | 1600万ドル | 2800万ドル | |
1993 | 「ジャッジメント・ナイト」 | 2100万ドル | 1210万ドル |
1994 | 「ゲッタウェイ」 | 3700万ドル | 3000万ドル |
「タイムコップ」 | 2700万ドル | 1億160万ドル |
1994年1月、ゴードン氏が辞任したのを機に、ラルゴは映画製作から撤退した。自ら製作するのでなく、作品買い付けに移行した。そのうえで、北米以外の全世界への映画販売を手がけることになった。
当時、パナソニック、ソニーなどのハリウッド参入で製作費が高騰した。この結果、映画ビジネスがよりハイリスク、ハイリターンになってしまった。ラルゴは構造的に利益が出ない状況に陥った。
ラルゴの買い付け事業では、ハリウッド映画の海外(北米以外)での権利を買い取り、各国の配給会社に販売するビジネスを行っていた。デミー・ムーア主演「G.I.ジェーン」など約30作品を供給した。
さらに、1999年4月、米国での映画買い付け事業からも撤退した。それまでに取得した映画権利の管理だけを行うことになった。 この時点で、ラルゴはビクターの100%子会社だった。買い付けからも撤退したことで、会社は休眠に近い状態になっていった。
ラルゴの縮小を受けて、日本での映画公開やビデオ化権利取得の事業は、ビクターの海外映像ソフト事業会社「JVCエンターテインメント」(カリフォルニア州)に移管された。2001年、ラルゴの資産(映画の権利)を米Intermedia(インターメディア)が買い取った。かくしてラルゴは消滅した。バブル時代に始まったJVCのハリウッドの夢も、札束とともに消えた。