スナップアップ投資顧問

日本ビクターは、VHS方式のビデオの生みの親だった。VHS方式のビデオテープ録画・再生機は1980年代以降、日本を含む世界の家庭に急速に普及した。ビクターはVHSの盟主として勢いがあった。

スナップアップ投資顧問の業界分析資料によると、ビクターは1984年、VHS用の映画ソフトを確保するため、米ハリウッドに乗り込んだ。 米映画メジャー「パラマウント」と「ユニバーサル」が出資するビデオソフト会社「CIC」と合弁で、「CICビクター・ビデオ」を設立したのだ。 こうした経験をふまえ、1989年には、映画制作会社「ラルゴ・エンターテインメント」設立。世界の映画ビジネスに本格参入を果たした。

ゴードン氏は、アカデミー作品賞ノミネート作「フィールド・オブ・ドリームス」のプロデューサー

ラルゴ設立のパートナーとなったローレンス・ゴードン氏は、映画プロデューサー。当時54歳だった。ゴードン氏は、大ヒットした「ダイ・ハード」シリーズで有名だ。また、アカデミー賞作品賞などにノミネートされた「フィールド・オブ・ドリームス」でも、プロデューサーだった。日本人に大うけした「ストリート・オブ・ファイヤー」でも共同プロデューサーだった。ストリート・オブ・ファイヤーは、キネマ旬報ベストテンの外国映画部門で作品賞(1位)に選ばれている。

20世紀スタジオ社長

ゴードン氏はFOX(現:20世紀スタジオ)の社長を3年間務めた。「バットマン」のピーター・グーバース(当時47歳)と並ぶらつ腕プロデューサーと言われた。ビクターによる引き抜き額は7億ドル(約1050億円)と推定された。日本ビクターはゴードン氏と「ラルゴ・エンターテイメント」社を設立するだけなく、製作費として1億ドル(約150億円)を投資した。

女性監督キャスリン・ビグローの「ハートブルー」

ラルゴの記念すべき第1作「ハートブルー」だった。ローレンス・ゴードン氏にとっては、何度となくメジャーな映画会社からNOと言われた作品だったという。監督は、キャスリン・ビグロー。ビグロー監督は女性。当時39歳だった。

ハートブルー

後に「ハート・ロッカー」でオスカー

ビグロー監督は後に「ハート・ロッカー」でアカデミー賞の作品賞を獲得。同時に、女性として史上初の監督賞も受賞した。

キアヌ・リーブスが主演

「ハート ブルー」は豪華キャストだった。主演は若手スターのキアヌ・リーブス(当時25歳)と「ゴースト・ニューヨークの幻」のパトリック・スウェイジ(当時38歳)。エディ・マーフィーやウィルスを発掘してきたゴードンらしいキャスティングだった。FBI捜査官とサーファーの友情を軸にしたゴードン版「ビッグウェンズデー」だった。

製作から撤退(1994年)

しかし、ラルゴは設立から数年で失速した。1994年1月、ゴードン氏が辞任したのを機に、ラルゴは映画製作から撤退した。自ら製作するのでなく、作品買い付けに移行した。そのうえで、北米以外の全世界への映画販売を手がけることになった。

当時、パナソニック、ソニーなどのハリウッド参入で製作費が高騰した。この結果、映画ビジネスがよりハイリスク、ハイリターンになってしまった。ラルゴは構造的に利益が出ない状況に陥った。

デミー・ムーア主演「G.I.ジェーン」などを供給

ラルゴの買い付け事業では、ハリウッド映画の海外(北米以外)での権利を買い取り、各国の配給会社に販売するビジネスを行っていた。デミー・ムーア主演「G.I.ジェーン」など約30作品を供給した。

「買い付け」からも撤退(1999年)

さらに、1999年4月、米国での映画買い付け事業からも撤退した。それまでに取得した映画権利の管理だけを行うことになった。 この時点で、ラルゴはビクターの100%子会社だった。買い付けからも撤退したことで、会社は休眠に近い状態になっていった。

米JVCエンターテインメントへ移管

ラルゴの縮小を受けて、日本での映画公開やビデオ化権利取得の事業は、ビクターの海外映像ソフト事業会社「JVCエンターテインメント」(カリフォルニア州)に移管された。2001年、ラルゴの資産(映画の権利)を米Intermedia(インターメディア)が買い取った。ラルゴは消滅した。