アカデミー賞の監督賞の受賞者の一覧です。
年 | 受賞作 | |
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2022 |
ジェーン・カンピオン
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」 |
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2021 |
クロエ・ジャオ
「ノマドランド」 |
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2020 |
ボン・ジュノ
「パラサイト 半地下の家族」 |
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2019 |
アルフォンソ・キュアロン
「ROMA/ローマ」 |
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2018 |
ギレルモ・デル・トロ
「シェイプ・オブ・ウォーター」 |
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2017 |
デミアン・チャゼル
「ラ・ラ・ランド」 |
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2016 |
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
「レヴェナント 蘇えりし者」 |
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ハリウッドの黄金時代を代表する名匠として知られるジョン・フォード監督が4度受賞し、 最多記録を保持しています。 「ベン・ハー」「ローマの休日」などで有名なウィリアム・ワイラー監督は、 前人未踏の12回のノミネート記録を持っています。(オスカー・ウォッチ編集部)
2020年代 | 2010年代 | 2000年代 | 1990年代 | 1980年代 | 1970年代 | 1960年代 | 1950年代 | 1940年代 | 1930年代 | 1920年代 | 2022年の全部門(特集ページ)→ | 2021年の全部門→ | 2020年の全部門→ | ページの先頭↑ | トップページ→
歴代の受賞者
(2020年代 | 2010年代↓)
年 | 受賞作品 | ノミネート |
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2022 |
ジェーン・カンピオン
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」 ![]() 女性として史上3人目の監督賞。前年の「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督に続いて2年連続。また、カンピオン自身のオスカーは、1994年に「ピアノ・レッスン」で脚本賞を受賞して以来2度目。 【説明→】 【作品紹介→】 予告編(監督版)→ 作品一覧(wiki)→ |
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2021 |
クロエ・ジャオ
「ノマドランド」 作品一覧→ ![]() 作品の特別映像→ レビューや過去作の紹介動画(シネコト)→ ![]() 女性として2人目の監督賞。 ジャオ監督は1982年北京生まれの中国籍。 アメリカで映画を学び、そのまま米国に住みついた。 本作が長編3作目。38歳。 前年のポン・ジュノ監督(韓国人、パラサイト)に続いて、2年連続のアジア人の受賞。 アジア女性としては初めての快挙。 2019年はメキシコ人のアルフォンソ・キュアロンが受賞しており、 3年連続の外国人の受賞となった。 |
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2020 |
ポン・ジュノ
「パラサイト 半地下の家族」 作品一覧→ 受賞スピーチ(動画)と日本語訳→ ※韓国人として初の受賞。アジア人としてはアン・リー監督(台湾)以来、2人目です。 |
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| 2019 | 2018 | 2017 | 2016 | 2015 | 2014 | 2013 | 2012 | 2011 | 2010 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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2019 | アルフォンソ・キュアロン 「ROMA/ローマ」 作品一覧→ ![]() ※メキシコ人。 |
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2018 | ギレルモ・デル・トロ (シェイプ・オブ・ウォーター) 作品一覧→ ![]() |
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2017 | デミアン・チャゼル 「ラ・ラ・ランド」 作品一覧(U-NEXT)→ ![]() オリジナルの曲と脚本で、廃れつつあった古典ミュージカルのスタイルを復活させた。 学生時代から構想を温めていたという。当時32歳。史上最年少の受賞となった。 |
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2016 | アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 「レヴェナント 蘇えりし者」 |
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2015 | アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」 |
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2014 | アルフォンソ・キュアロン 「ゼロ・グラビティ」 |
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2013 | アン・リー 「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」 台湾出身。「ブロークバック・マウンテン」に続いて2度目の監督賞となった。 本作では、極限状態におかれた人間の想像力に迫った。 |
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2012 | ミシェル・アザナビシウス 「アーティスト」 ハリウッド映画界の愛や葛藤を、無声(サイレント)の白黒映像で描いた。 監督は当時45歳。カラー映画で育った世代である。製作にあたり、 数百本の無声映画を研究した。チャールズ・チャプリンの「街の灯」(1931年)からはメロドラマでありながらユーモアもある二面性を取り込んだ。 脚本執筆時、こういう映画を撮ることに価値があるのか自信が揺らいだこともあったという。 |
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2011 | トム・フーパー 「英国王のスピーチ」 |
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2010 | キャスリン・ビグロー 「ハート・ロッカー」 |
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| 2009 | 2008 | 2007 | 2006 | 2005 | 2004 | 2003 | 2002 | 2001 | 2000 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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2009 | ダニー・ボイル 「スラムドッグ$ミリオネア」 |
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2008 | ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン 「ノーカントリー」 |
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2007 | マーティン・スコセッシ 「ディパーテッド」 ・特集動画→ |
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2006 | アン・リー 「ブロークバック・マウンテン」 |
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2005 | クリント・イーストウッド 「ミリオン・ダラー・ベイビー」 ・特集動画→ |
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2004 | ピーター・ジャクソン 「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」 |
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2003 | ロマン・ポランスキー 「戦場のピアニスト」 |
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2002 | ロン・ハワード 「ビューティフル・マインド」 |
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2001 | スティーブン・ソダーバーグ 「トラフィック」 |
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2000 | サム・メンデス 「アメリカン・ビューティー」 |
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| 1999 | 1998 | 1997 | 1996 | 1995 | 1994 | 1993 | 1992 | 1991 | 1990 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1999 | スティーブン・スピルバーグ 「プライベート・ライアン」 |
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1998 | ジェームズ・キャメロン 「タイタニック」 |
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1997 | アンソニー・ミンゲラ 「イングリッシュ・ペイシェント」 |
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1996 | メル・ギブソン 「ブレイブハート」 |
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1995 | ロバート・ゼメキス 「フォレスト・ガンプ/一期一会」 |
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1994 | スティーブン・スピルバーグ 「シンドラーのリスト」 受賞スピーチ→ 映画史に残る大ヒット作を次々に製作してきたスピルバーグが、ついにオスカーを獲得した。 スピルバーグが原作を読んだのは1982年、「E・T」で大成功の直後だった。 ユダヤ人の血を引く彼は、「ユダヤ系であるが故の義務」を果たすべく、映画化を決意する。しかし実現までに10年の歳月が流れた。脚本が難航したせいだ。 共同製作と配給のユニバーサル社は当初、「当たるわけがない」と難色を示した。しかし、スピルバーグ監督は、監督料を返上し、興行収入からの歩合も辞退してまでこの映画に賭けた。 |
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1993 | クリント・イーストウッド 「許されざる者」 |
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1992 | ジョナサン・デミ 「羊たちの沈黙」 |
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1991 | ケビン・コスナー 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」 |
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1990 | オリバー・ストーン 「7月4日に生まれて」 |
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| 1989 | 1988 | 1987 | 1986 | 1985 | 1984 | 1983 | 1982 | 1981 | 1980 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1989 | バリー・レビンソン 「レインマン」 |
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1988 | ベルナルド・ベルトルッチ 「ラストエンペラー」 |
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1987 | オリバー・ストーン 「プラトーン」 |
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1986 | シドニー・ポラック 「愛と哀しみの果て」 |
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1985 | ミロス・フォアマン 「アマデウス」 |
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1984 | ジェームズ・L・ブルックス 「愛と追憶の日々」 |
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1983 | リチャード・アッテンボロー 「ガンジー」 |
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1982 | ウォーレン・ビーティー 「レッズ」 |
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1981 | ロバート・レッド・フォード 「普通の人々」 |
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1980 | ロバート・ベントン 「クレイマー・クレイマー」 |
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| 1979 | 1978 | 1977 | 1976 | 1975 | 1974 | 1973 | 1972 | 1971 | 1970 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1979 | マイクル・チミノ 「ディア・ハンター」 |
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1978 | ウディ・アレン 「アニー・ホール」 |
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1977 | ジョン・G・アヴィルドセン 「ロッキー」 |
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1976 | ミロシュ・フォアマン 「カッコーの巣の上で」 |
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1975 | フランシス・フォード・コッポラ 「ゴッドファーザーPART2」 |
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1974 | ジョージ・ロイ・ヒル 「スティング」 |
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1973 | ボブ・フォッシー 「キャバレー」 |
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1972 | ウイリアム・フリードキン 「フレンチ・コネクション」 |
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1971 | フランクリン・J・シャフナー 「パットン大戦車軍団」 |
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1970 | ジョン・シュレシンジャー 「真夜中のカーボーイ」 |
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2020年代 | 2010年代 | 2000年代 | 1990年代 | 1980年代 | 1970年代 | 1960年代 | 1950年代 | 1940年代 | 1930年代 | 1920年代 | 2022年の全部門(特集ページ)→ | 2021年の全部門→ | 2020年の全部門→ | ページの先頭↑ | トップページ→
| 1969 | 1968 | 1967 | 1966 | 1965 | 1964 | 1963 | 1962 | 1961 | 1960 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1969 | キャロル・リード 「オリバー!」 |
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1968 | マイク・ニコルズ 「卒業」 |
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1967 | フレッド・ジンネマン 「わが命つきるとも」 |
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1966 | ロバート・ワイズ 「サウンド・オブ・ミュージック」 1914年、インディアナ州生まれ。同州のフランクリン・カレッジを経て映画界に入り、音響編集の見習いから始めた。1941年、チーフ編集マンとして「市民ケーン」の製作を担当。1961年、監督として「ウエスト・サイド物語」を発表した。 「サウンド・オブ・ミュージック」の後も、スティーブ・マックイーン主演「砲艦サンパブロ」(1966年)、SF映画「スター・トレック」(1979年)などバラエティーに富んだ作品を次々と発表。 さまざまなジャンルで名作を生み出した多才な監督として活躍した。 2005年に91歳で死去。映画評論家の水野晴郎氏は「ボクシング映画『罠』で短く鋭く映像をつなぐ“スタカット・ダイレクト”で映画界に多大な影響を与えた。ミュージカルもので頂点を極めた監督だが、『地球が静止する日』などスペクタクルに社会的メッセージを込めることもできる稀有な監督だった」と惜しんだ。 |
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1965 | ジョージ・キューカー 「マイ・フェア・レディ」 |
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1964 | アルバート・フィニー 「トム・ジョーンズの華麗な冒険」 |
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1963 | デヴィッド・リーン 「アラビアのロレンス」 |
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1962 | ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス 「ウエスト・サイド物語」 アカデミー賞史上はじめて、ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンスの共同監督2人に監督賞のオスカーが渡された。 ブロードウェイの舞台を映画化した作品。本作が登場するまで、ミュージカルといえば楽しいおとぎ話という印象が強かった。だが、ジェローム・ロビンズ監督がまず舞台において現実感のあるミュージカルを作り出した。ワイズ監督は、その現実性をさらに追求した。 ワイズ監督は、後に「サウンド・オブ・ミュージック」でもオスカー監督賞を受賞した。 |
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1961 | ビリー・ワイルダー 「アパートの鍵貸します」 |
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1960 | ウィリアム・ワイラー 「ベン・ハー」 |
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| 1959 | 1958 | 1957 | 1956 | 1955 | 1954 | 1953 | 1952 | 1951 | 1950 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1959 | ヴィンセント・ミネリ 「恋の手ほどき」 |
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1958 | デヴィッド・リーン 「戦場にかける橋」 |
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1957 | ジョージ・スティーヴンス 「ジャイアンツ」 |
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1956 | デルバート・マン 「マーティ」 |
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1955 | エリア・カザン 「波止場」 |
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1954 | フレッド・ジンネマン 「地上より永遠に」 |
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1953 | ジョン・フォード 「静かなる男」 |
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1952 | ジョージ・スティーヴンス 「陽のあたる場所」 |
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1951 | ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ 「イヴの総て」 |
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1950 | ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ 「三人の妻への手紙」 |
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2020年代 | 2010年代 | 2000年代 | 1990年代 | 1980年代 | 1970年代 | 1960年代 | 1950年代 | 1940年代 | 1930年代 | 1920年代 | 2022年の全部門(特集ページ)→ | 2021年の全部門→ | 2020年の全部門→ | ページの先頭↑ | トップページ→
| 1949 | 1948 | 1947 | 1946 | 1945 | 1944 | 1943 | 1942 | 1941 | 1940 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1949 | ジョン・ヒューストン 「黄金」 |
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1948 | エリア・カザン 「紳士協定」 |
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1947 | ウィリアム・ワイラー 「我等の生涯の最良の年」 |
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1946 | ビリー・ワイルダー 「失われた週末」 |
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1945 | レオ・マッケリー 「我が道を往く」 |
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1944 | マイケル・カーティス 「カサブランカ」 |
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1943 | ウィリアム・ワイラー 「ミニヴァー夫人」 |
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1942 | ジョン・フォード 「わが谷は緑なりき」 |
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1941 | ジョン・フォード 「怒りの葡萄」 |
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1940 | ヴィクター・フレミング 「風と共に去りぬ」 |
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| 1939 | 1938 | 1937 | 1936 | 1935 | 1934 | 1933 | 1932 | 1931 | 1930 |
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1939 | フランク・キャプラ 「我が家の楽園」 |
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1938 | レオ・マッケリー 「新婚道中記」 |
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1937 | フランク・キャプラ 「オペラ・ハット」 |
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1936 | ジョン・フォード 「男の敵」 |
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1935 | フランク・キャプラ 「或る夜の出来事」 |
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1934 | フランク・ロイド 「カヴァルケード」 |
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1933 | フランク・ボーゼイジ 「バッド・ガール」 |
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1932 | ノーマン・タウログ 「スキピイ」 |
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1931 | ルイス・マイルストン 「西部戦線異状なし」 |
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1930 | フランク・ロイド 「情炎の美姫」 |
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2020年代 | 2010年代 | 2000年代 | 1990年代 | 1980年代 | 1970年代 | 1960年代 | 1950年代 | 1940年代 | 1930年代 | 1920年代 | 2022年の全部門(特集ページ)→ | 2021年の全部門→ | 2020年の全部門→ | ページの先頭↑ | トップページ→
| 1929 |
(1930年代↑ | 1920年代)
年 | 受賞者 | ノミネート |
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1929 | <ドラマ部門> フランク・ボーゼージ 「第七天国」 |
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<コメディ部門> ルイス・マイルストン 「美人国二人行脚」 |
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