シカゴ7裁判のアカデミー賞

作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞で有力と予想

オスカーの予想を集計するサイト「ゴールドダービー」によると、 シカゴ7裁判は作品賞の有力順位が「3位」となっています(2020年10月1日現在)。 また、アーロン・ソーキン監督は、監督賞、脚本賞の有力候補の一人と見られており、 ゴールドダービーの集計では監督賞候補の5位、脚本賞候補の2位に挙げられています。

<ノミネートが有力視される部門>
ノミネートが有力視される部門 作品賞
監督賞
アーロン・ソーキン
脚本賞
アーロン・ソーキン
主演男優賞
サシャ・バロン・コーエン
助演男優賞
ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世
ジェレミー・ストロング
マーク・ライランス

※米予想サイト「ゴールドダービー」の予想です(2020年10月1日現在)。

シカゴ7裁判とは

「人種」をテーマにした裁判映画。作品の大半は、法廷が舞台となる。

1968年のアメリカ大統領選挙に向け、当時、政権の与党(ジョンソン大統領)だった民主党の全国大会がシカゴで行われた。

このシカゴ民主党大会において、 暴動を企てたとして7人が起訴され、刑事裁判にかけられた。 7人はベトナム戦争に反対する若者であった。 この裁判を題材にした映画である。

人種間の対立もテーマとなる。 米国の警察の黒人政治団体(ブラックパンサー党)に対する姿勢など、 今日的なテーマと重なる。

監督は、米国を代表する脚本家として知られるアーロン・ソーキン。 「ソーシャル・ネットワーク」の脚本でオスカー(脚色賞)を獲得したことがある。 このほか「マネーボール」などの優れた脚本で知られる。 実話をベースとして脚本づくりの天才である。 監督としては「モリーズ・ゲーム」(2017年)でデビューを果たした。 今回は監督として2作目。脚本も自身で手掛けた。

主演は映画「ボラット」などのコメディアンとして有名なサシャ・バロン・コーエン。

当初は米大手配給会社ユニバーサルが劇場公開する予定だったが、ネットフリックスに売却した。 コロナウイルスの流行で映画館が閉鎖され、 収益が見込めなかったためだ。 ネットフリックスは、ネット配信を開始する前に、一部の映画館で小じんまりと上映。 これによって、アカデミー賞の選考対象になるための条件をクリア。

動画

Netflix

ネットフリックスの配信ページ→


映画の予告編


日本公開日

劇場公開:2020年10月9日

動画配信開始:2020年10月16日(ネットフリックス)

シカゴ7裁判の被告7人のリスト(一覧)

名前、裁判のときの年齢 役者 その後の人生
トム・ヘイデン
(Tom Hayden)
29歳
エディ・レッドメイン 後に政治家となり、カリフォルニア州の地方議員(州上院)に当選。 1992年から2期8年を務めた。所属は民主党。 政治家としては穏健な現実路線に転じた。ベトナム戦争時代からの民主党内の路線対立を乗り越えるべく、「党の融和と団結」を呼びかけた。

私生活では、オスカー女優ジェーン・フォンダと結婚。1973年から17年間夫婦だった(1990年に離婚)。

2016年、76歳で亡くなった。
アビー・ホフマン
(Abbie Hoffman)
32歳
サシャ・バロン・コーエン 後に「この本を盗め」という本を執筆した。 政府や大企業に対抗するなど、1960年代のカンターカルチャー的な生き方を示すガイドである。 1971年に出版され、25万部を超えるヒット作になった。

精神的な病である「バイポーラ―(双極性障害)」を患っていたという。1989年死亡。自殺とされた。
ジェリー・ルービン
(Jerry Rubin)
31歳
ジェレミー・ストロング 後にビジネスマンになった。1980年、ニューヨークのウォール街にある証券会社に入社。株のブローカーの仕事をした。 その一方で、「スタジオ54」「パラダイム」といった超有名ディスコにおいて、若者の交流イベントを企画した。 その後、健康食品に目覚める。ロサンゼルスに転居し、食品のマルチ商法(ネットワーク販売)の販売員として稼いだという。 1994年に交通事故で死亡した。
デビッド・デリンジャー
(David Dellinger)
54歳
ジョン・キャロル・リンチ
レニー・デイビス
(Rennie Davis)
28歳
アレックス・シャープ
ジョン・フロイネス
(John Froines)
30歳
ダニエル・フラハティ
リー・ワイナー
(Lee Weiner)
30歳
ノア・ロビンス

その他の登場人物

名前 説明
【弁護士】
ウィリアム・クンスラー
7人の弁護士を務めた。左翼系の辣腕弁護士として知られた。1995年に亡くなるまで、テロリスト、政治犯、マフィアの弁護人として活動した。

アメリカの多数の政治闘争事件で被告側の弁護に立った。法廷では型破りの激しい反政府アジ演説を展開することで知られた。巧妙、老練な弁護術を駆使して逆転勝訴にもち込んだケースも多い。検事の間では「全米で最も相手にしたくない弁護士」とされていた。

米ニュージャージー州で1988年4月、爆弾所持の現行犯で逮捕された菊村憂(当時36歳)の主任弁護士も務めた。

このほか、サウスダコタのインディアン保留地で米連邦捜査局(FBI)の捜査官2人を殺害したインディアン解放運動活動家レナード・ペルチェ事件、アティカ刑務所暴動事件(1975年)、フィラデルフィアの黒人居住区爆撃事件、モスクワ米大使館の海兵隊員によるスパイ事件などを担当した。過激グループ8人による連続放火、銀行襲撃事件などの弁護人も引き受けた。

大物マフィアであるジョゼフ・ボナノにかかわる刑事事件でも弁護をした。
【傍聴人】
フレッド・ハンプトン
黒人闘争組織「ブラックパンサー党」のシカゴ支部の幹部。