参照:スナップアップ投資顧問の映画業界分析

スナップアップ投資顧問の映画業界分析の資料などによると、日本企業のハリウッド映画界への進出は、1989年8月の日本ビクターが第一弾となった。続いてソニー、パイオニア、パナソニック(松下電器産業)、東芝・伊藤忠商事などが参戦した。

進出した企業は、AV(音響・映像)分野を得意とする電機メーカーが多かった。日本の電機メーカーは1970年代あら1980年代半ばかけて、テープ式のビデオ録画機の規格競争を繰り広げた。この競争は、最終的にVHS方式が勝利し、ベータ方式が敗北した。

製造業(ハード)よりも、ソフトやコンテンツのほうが楽?

ハリウッドへ投資した最大の理由が、レンタル用の映画コンテンツ(映像ソフト)の豊富さにあった。このため、各メーカーは、映画コンテンツ資産を狙いハリウッド進出を図ることになった。

また、そもそもハードウエアの製造に比べて、ソフトやコンテンツのほうが「楽に稼げる」という側面もあった。ハードウエアは、工場の精密な機械や手作業を組み合わせて、一つ一つ作る必要がある。これに対して、ソフトやコンテンツは複製が簡単にできる。このため、利益率が高い傾向があると、製造業の経営者の多くが考えた。

ソニーだけが成功。それ以外は撤退

とはいえ、映画ビジネスはリスクが高い。しかも、ハリウッドの内情を熟知し、土地勘を持っている必要がある。そうしないと、資金だけを吸い取られ、大損してしまう。作品のヒット性を予見する能力も必要だ。

各社とも映画子会社の経営に手を焼いた。多くの企業が早々に撤退することになった。結局、長期にわたって成功したのは、ソニーだけだった。

バブル期のジャパンマネーへの脅威と反発

また、バブルを背景とする日本企業のハリウッド進出に対して、アメリカ国民やメディアから批判の声が出た。映画産業は、米国文化の華だった。「日本は米国の心を買った」という指摘もあった。このころは、日本の経済が成長し、アメリカの産業にとって脅威になっていた。「ジャパンマネー」がアメリカの投資市場を席巻していた。

日本企業のハリウッド進出の歴史

出来事
1989年 日本ビクター、ダイ・ハードなどで知られるプロデューサー、ローレンス・ゴードン氏と映画製作会社、ラルゴ・エンターテイメントを設立。

ソニー、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメントを34億ドル(当時約4800億円)で買収。
1990年 パイオニアが、カロルコ・ピクチャーズの株式10%を6000万ドル(当時90億円)で取得。

パナソニック(松下電器産業)、MCAを61億ドル(当時7800億円)で買収。
1991年 コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメントがソニ・ピクチャーズ・エンタテイメントに社名変更。

東芝、伊藤忠商事、タイム・ワーナーに5億ドル出資。
1992年~
1993年
パイオニア、経営危機に陥ったカロルコ社に追加出資。累計出資額は約9400万ドル、出資比率は約41%に。
1994年 日本ビクターが設立したラルゴ・エンターテイメント社が映画製作から撤退。北米以外の全世界への映画販売に業態変更。
MCAが松下電器に経営権の委譲を要求。経営をめぐる確執が表面化。

パイオニア、カロルコ社支援のためロイヤリティーの前払いとして900万ドル支払う。

日本ビクター

1989年8月に日本ビクターがハリウッドの有力プロデューサーと共同で映画会社「ラルゴ・エンタテインメント社」を設立した。

パイオニア

1990年11月にパイオニアが米国独立大手映画会社「カロルコ・ピクチャーズ社」に資本参加した。

パイオニアはカロルコ作品のレーザーディスク化権の確保を狙って、比較的少額の出資を行った。しかし、経営支援のため次々と資金負担を迫られている。

東芝と伊藤忠商事

また、東芝と伊藤忠商事は1991年(平成3年)に、タイム・ワーナーに5億ドル(当時約600億円)ずつ出資した。

1991年11月には東芝、伊藤忠商事、米国映像・出版会社「タイム・ワーナー社」の3社で、1992年春ごろに映像事業を行う合弁会社を日米に設立することで合意した。

デジタル・ビデオ・ディスクの規格問題では、ハリウッドの意向をまとめるのにタイム・ワーナーの協力が大きかったとされる。