1940年代のアカデミー賞の受賞結果とノミネート(候補作品)のリストです。(アワード・ウォッチ編集部)
年 | 受賞作 | |
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1949年 | 「ハムレット」 | 詳細↓ |
1948年 | 「紳士協定」 | 詳細↓ |
1947年 | 「我等の生涯の最良の年」 | 詳細↓ |
1946年 | 「失われた週末」 | 詳細↓ |
1945年 | 「我が道を往く」 | 詳細↓ |
1944年 | 「カサブランカ」 | 詳細↓ |
1943年 | 「ミニヴァー夫人」 | 詳細↓ |
1942年 | 「わが谷は緑なりき」 | 詳細↓ |
1941年 | 「レベッカ」 | 詳細↓ |
1940年 | 「風と共に去りぬ」 | 詳細↓ |
1940年代のオスカーでは「風と共に去りぬ」(1940年)、「カサブランカ」(1944年)などが作品賞に選ばれました。一方、1942年の作品賞レースでは、映画史上最高の傑作とされる「市民ケーン」が受賞を逃すという事件が起きました。また、ミュージカル映画の傑作「オズの魔法使」も、風と共に去りぬに敗れて受賞はなりませんでした。
(1949年 | 1948年↓)
1949年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「ハムレット」
【配信:アマゾン】 監督:ローレンス・オリビエ シェークスピア劇の映画化の最高傑作と評される。 イギリス映画。ハリウッド・スタジオ以外の映画として初めて作品賞を受賞した。主演男優賞も獲り、計4冠。 英国史上最強の名優の一人、ローレンス・オリビエが自ら監督と主演を務め、プロデューサーも単独で務めた。オリビエによるシェークスピア3部作「ヘンリー五世」(1945年)、「リチャード三世」(1955年)の一つ。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ジョン・ヒューストン (黄金) |
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主演男優賞 | ローレンス・オリヴィエ (ハムレット) |
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主演女優賞 | ジェーン・ワイマン (ジョニー・ベリンダ) |
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助演男優賞 | ウォルター・ヒューストン (黄金) |
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助演女優賞 | クレア・トレヴァー (キー・ラーゴ) |
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原案賞 | 山河遥かなり (リチャード・シュヴァイザー、デイヴィッド・ウェクスラー) |
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脚色賞 | 黄金 (ジョン・ヒューストン) |
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1948年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「紳士協定」
【配信:アマゾン】 監督:エリア・カザン 人種差別と偏見について探求する社会派ドラマ。 舞台はニューヨーク。主人公(グレゴリー・ペック)は、ユダヤ人であることを隠して上流階級のホテルで働くことになる。ホテルの社交界に入り込みながら、差別や偏見に直面する。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | エリア・カザン (紳士協定) |
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主演男優賞 | ロナルド・コールマン (二重生活) |
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主演女優賞 | ロレッタ・ヤング (ミネソタの娘) |
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助演男優賞 | エドマンド・グウェン (三十四丁目の奇蹟) |
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助演女優賞 | セレステ・ホルム (紳士協定) |
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脚本賞 | 独身者と女学生 (シドニィ・シェルダン) |
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脚色賞 | 三十四丁目の奇蹟 (ジョージ・シートン) |
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1947年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「我等の生涯の最良の年」
【配信:アマゾン】 監督:ウィリアム・ワイラー 戦場から戻ってきた3人の男を描いた。第二次世界大戦に勝利した米国だったが、元兵士たちは家庭や職場で様々な悩みや問題を抱えてきた。 爆撃手だった青年フレッド、元銀行員の陸軍軍曹のアル、両手を失った若い水兵のホーマー。戦勝国が負った深い傷を浮き彫りにした。 ワイラー監督は既にオスカーに輝いていた大物映画人だったが、記録映画撮影のために従軍した。戦争の恐ろしさを身をもって経験し、復員後の一作目として本作に挑んだ。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ウィリアム・ワイラー (我等の生涯の最良の年) |
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主演男優賞 | フレドリック・マーチ (我等の生涯の最良の年) |
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主演女優賞 | オリヴィア・デ・ハヴィランド (遥かなる我が子) |
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助演男優賞 | ハロルド・ラッセル (我等の生涯の最良の年) |
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助演女優賞 | アン・バクスター (剃刀の刃) |
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脚本賞 | 第七のヴェール (ミュリエル・ボックス、シドニー・ボックス) |
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脚色賞 | 我等の生涯の最良の年 (ロバート・E・シャーウッド) |
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1946年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「失われた週末」
【配信:アマゾン】 監督:ビリー・ワイルダー 映画史上初めて、アルコール依存症という問題に正面から向き合った作品と言われる。 中毒患者の心理と行動を緻密に緊迫感あふれるタッチで描いたことが評価された。 明るいハッピーエンド作品が映画の主流だった時代。酔っ払いといえば、笑いを誘う滑稽な存在だった。 名匠ビリー・ワイルダー監督に、初めてのオスカーをもたらした。 当時39歳。すでに脚本家として4度ノミネートされ、さらに前作「深夜の告白」は作品賞、監督賞にもノミネートされていた。 本作では、作品賞に加えて、監督賞、脚本賞も獲った。 ワイルダー監督はこの12年前の1934年にナチ台頭のドイツを逃れ、アメリカに亡命した。 本作の後も20年にわたって「サンセット大通り」「アパートの鍵貸します」などのワイルダー作品がオスカーをにぎわせた。 【あらすじ】物語の舞台はニューヨーク。売れない作家ドンは重度のアルコール依存症に陥っている。3年来の恋人の女性ヘレンは、懸命に彼を世話し、立ち直らせようとする。しかし、ドンは口実をつくってはバーに入り浸り、買った酒は巧みに隠した。やがて倒れて中毒患者の収容所に入れられる。怖くなって逃げだすが、禁断症状と幻覚に苦しめられる。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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主演女優賞 | ジョーン・クロフォード (ミルドレッド・ピアース) |
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助演男優賞 | ジェームズ・ダン (ブルックリン横丁) |
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助演女優賞 | アン・リヴィア (緑園の天使) |
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脚本賞 | Marie-Louise/マリー・ルイーズ (リチャード・シュヴァイザー) |
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脚色賞 | 失われた週末 (チャールズ・ブラケット、ビリー・ワイルダー) |
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1945年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「我が道を往く」
【配信:アマゾン 】 監督:レオ・マッケリー 主演:ビング・クロスビー ニューヨークの下町のオンボロ教会の神父が、近所の悪童連中を合唱やスポーツで善導していく。ヒューマニズムの映画作家レオ・マッケリー監督が最も円熟味を発揮した一作と評されている。 ささやかな庶民の生き方や牧師の善意、目標のために全身全霊を傾ける姿が共感を呼んだ。戦時下の観客に心なごむ一瞬を与えた。 敗戦後の荒廃した日本でも1946年に公開され、若者らの胸を打った。 【あらすじ】ニューヨーク下町の貧乏な教会に着任したオマリー神父は、不良少年を集めて聖歌隊を組織する。自作楽譜の出版など教会再建に向けて次々と打つ手は成功する。教会が火災に遭うという危機にも、神父はめげない。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | レオ・マッケリー (我が道を往く) |
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主演男優賞 | ビング・クロスビー (我が道を往く) |
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主演女優賞 | イングリッド・バーグマン (ガス燈) |
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助演男優賞 | バリー・フィッツジェラルド (我が道を往く) |
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助演女優賞 | エセル・バリモア (孤独な心) |
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脚本賞 | ウィルソン (ラマー・トロッティ) |
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脚色賞 | 我が道を往く (フランク・バトラー、フランク・キャヴェット) |
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1944年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「カサブランカ」
【配信:アマゾン】 監督:マイケル・カーティス ※誰もが認める歴史的名作であり、永遠のラブロマンス。珠玉の名セリフでも知られる。 恋愛映画の史上ナンバー1に選ばれ続けている。オスカー作品賞の受賞作ランキングでも、「ゴッドファーザー」などと常に歴代1位を争っている。脚本も秀逸で、米脚本家組合(WGA)が2006年に選んだ歴代の脚本ランキングで1位になった。 オスカーでは作品賞に加えて、監督賞、脚色賞、アービング・G・サルバーグ賞を受賞し、計4冠。 第二次大戦下のモロッコを舞台に、揺れ動く男女の愛と勇気を描いた。ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン主演。 【物語】1940年、フランス領モロッコの首都カサブランカ。酒場を経営する米国人リック(ハンフリー・ボガート)は、パリで別れた恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)と再会する。だが、彼女はレジスタンスのリーダー(ポール・ヘンリード)の妻だった。 <予告編▼> <挿入歌「時の過ぎゆくままに」▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ |
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監督賞 | マイケル・カーティス (カサブランカ) |
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主演男優賞 | ポール・ルーカス (ラインの監視) |
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主演女優賞 | ジェニファー・ジョーンズ (聖処女) |
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助演男優賞 | チャールズ・コバーン (陽気なルームメイト) |
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助演女優賞 | カティーナ・パクシヌー (誰が為に鐘は鳴る) |
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脚本賞 | カナリヤ姫 (ノーマン・クラスナー) |
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脚色賞 | カサブランカ (ジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチ) |
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1943年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「ミニヴァー夫人」
【配信:アマゾン】 監督:ウィリアム・ワイラー 第二次世界大戦下のイギリスの銃後生活を描いた。 ナチスドイツ軍の空襲を受けるロンドンで、 夫人がさまざまな不安や不自由を抱えながら、 めげずにしっかりと生きている姿をドラマ化した。 原作は、英国の新聞に連載された随筆。 戦意高揚に役立つとして、米ルーズベルト大統領は公開を急がせたという。 実際、リアルな描写もあいまって、戦争中のムードにはまって大成功した。 若き名匠としてハリウッドを支えていたウィリアム・ワイラー監督は、 本作でついに初のオスカーを獲得した。 当時40歳ながら、すでに6本の作品賞ノミネートを出しており、 受賞が待望されていた。 ワイラー監督は、本作の後の1942年に米陸軍に加わった。 帰還後、戦争の「負」の面を描いた「我等の生涯の最良の年」で再びオスカーを総なめすることになる。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ウィリアム・ワイラー (ミニヴァー夫人) |
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主演男優賞 | ジェームズ・キャグニー (ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ) |
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主演女優賞 | グリア・ガースン(ミニヴァー夫人) |
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助演男優賞 | ヴァン・ヘフリン (Johnny Eager) |
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助演女優賞 | テレサ・ライト (ミニヴァー夫人) |
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脚本賞 | 女性No.1 (リング・ラードナー・Jr、マイケル・カーニン) |
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脚色賞 | ミニヴァー夫人 (ジョージ・フローシェル、ジェームズ・ヒルトン、クローディン・ウェスト、アーサー・ウィンペリス) |
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1942年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「わが谷は緑なりき」
【配信:アマゾン】 監督:ジョン・フォード 「市民ケーン」が作品賞をとれなかった年として有名だ。市民ケーンのモデルとなった新聞王ハーストのネガティブ・キャンペーンによって、「わが谷は緑なりき」が漁夫の利を得たというイメージが強い。 とはいえ、「わが谷は緑なりき」も、映画史上最大の巨匠ジョン・フォードの傑作群の一つとして当時から讃えられていたのも事実。 ジョン・フォードは生涯において、7個のオスカーを獲得した。 このうち監督賞の受賞回数は4回であり、史上最多記録を保持ている。 しかし、作品賞となると、受賞したのは本作だけだった。西部劇の傑作「駅馬車」も、戦後の代表作となる「静かなる男」も、作品賞はノミネートどまりだった。 そんな本作は、フォードの得意分野として知られる西部劇ではなく、郷土劇。19世紀末のウェールズが炭鉱町が舞台。平凡な一家の人生を、静かなタッチで情感豊かに描いた。 「家族の団結」というテーマ性も、戦時中のムードと相性が良かった。 なお、監督賞は、前年に続きジョン・フォードの2年連続受賞となった。 <ジョン・フォード>アイルランド系米国人。1895年2月1日、米メーン州生まれ。本名ショーン・アロイシャス・オフィーニー。大道具係、俳優、助監督を経て、2017年に監督に。デビュー作から遺作「荒野の女たち」(1966年)まで監督作はなんと137本。すべては職人技のたまもの。1973年、癌により死去。享年78歳。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ジョン・フォード (わが谷は緑なりき) |
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主演男優賞 | ゲイリー・クーパー (ヨーク軍曹) |
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主演女優賞 | ジョーン・フォンテイン (断崖) |
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助演男優賞 | ドナルド・クリスプ (わが谷は緑なりき) |
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助演女優賞 | メアリー・アスター (偉大な嘘) |
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脚本賞 | 市民ケーン (ハーマン・J・マンキーウィッツ、オーソン・ウェルズ) |
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脚色賞 | 幽霊紐育を歩く (シートン・I・ミラー、シドニー・バックマン) |
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1941年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「レベッカ」
【配信:アマゾン】 監督:アルフレッド・ヒッチコック スリラーの巨匠ヒッチコック監督のサイコ・スリラー映画。有力候補だったチャップリン監督の「独裁者」に競り勝った。 不安にさいなまれる女性の心理を、ヒッチコックが様々な小道具とリアクション撮影で描いていく。 ゆったりとしたシーンの中にショック演出を加え、ドキンとさせられる。 ヒッチコック監督は生涯、個人として5回オスカーにノミネートされた。 いずれも監督賞だったが、本作「レベッカ」が最初だった。 惜しくも監督賞の受賞は逃したが、作品賞は獲った。 (ただし、本作ではプロデューサーを兼務していなかったため、『受賞者』にはならなかった) 英国人のヒッチコックは26歳で監督デビューし、1934年「暗殺者の家」で成功してからスリラー専門となった。 1938年、イギリスから黄金期の米国ハリウッドへと拠点を移した。本作が米国での第1弾の作品だった。 第2弾となる「海外特派員」も本年の作品賞にノミネートされた。 映画評論家の淀川長治さんによれば「ヒッチコックはアメリカで自分をお披露目するにあたり、美と恐怖の隣り合わせの疑惑とロマンを『レベッカ』で、連続アクション風のアクションを『海外特派員』で鮮やかに見せた」という。 プロデューサーのデビッド・セルズニックは、前年の「風と共に去りぬ」に続く受賞で作品賞2連覇となった。 <アルフレッド・ヒッチコック>1899年、ロンドン郊外レインストーンで生まれる。15歳で父を失い、働きながらロンドン大美術学部聴講生となった。20歳で字幕デザイナーとして映画界に入った。1980年死去。享年80歳。 【あらすじ】米国の若い女性が、イギリスの富豪と出会い、2度目の妻となる。 彼の荘園に行くと、邸内には前妻レベッカの思い出に満ちていた。 不気味な家政婦から嫌がらせを受け、レベッカの従兄につきまとわれる。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ジョン・フォード (怒りの葡萄) |
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主演男優賞 | ジェームズ・ステュアート (フィラデルフィア物語) |
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主演女優賞 | ジンジャー・ロジャース (恋愛手帖) |
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助演男優賞 | ウォルター・ブレナン (西部の男) |
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助演女優賞 | ジェーン・ダーウェル (怒りの葡萄) |
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脚本賞 | 偉大なるマッギンティ (プレストン・スタージェス) |
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脚色賞 | フィラデルフィア物語 (ドナルド・オグデン・スチュワート) |
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1940年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「風と共に去りぬ」
【配信:アマゾン】 監督:ヴィクター・フレミング 「不朽の名作」といえば、この映画を思い浮かべる人も多いだろう。 アメリカに限らず世界で「感動映画」の代名詞のように語り継がれてきた。アカデミー賞は10部門受賞。 大物プロデューサー、デビッド・O・セルズニックが、小説家マーガレット・ミッチェル女史から映画化権を獲得。 ビクター・フレミングを監督に起用し、当時としては破格の製作費600万ドルを投じて作り上げた。 南北戦争が始まる直前の南部ジョージア州。 大農場主の娘スカーレットの波乱万丈の人生が圧倒的スケールで描かれた。 野性的なバトラーを演じたクラーク・ゲーブル、そしてスカーレット役ビビアン・リーの名演。 アトランタ市街の大炎上など見せ場シーンの迫力も圧巻。 カラーの彩色技術も称賛された。 マックス・スタイナーの音楽なども見事にマッチ。 インフレ率を加味した興行収入(北米)は、歴代1位を維持している。 1939年の作品だが、日本で最初に公開されたのは戦後の1952年。 多くの人たちが、豪華な衣装やビビアン・リーの美しさに魅了された。 その後も数年おきに映画館で再上映。 1967年のリバイバルでは、東京の映画館に連日長蛇の列ができた。 洋画の代表的な名作として記憶に残された。 <予告編▼> <劇伴「タラのテーマ」▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ヴィクター・フレミング (風と共に去りぬ) |
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主演男優賞 | ロバート・ドーナット (チップス先生さようなら) |
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主演女優賞 | ヴィヴィアン・リー (風と共に去りぬ) |
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助演男優賞 | トーマス・ミッチェル (駅馬車) |
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助演女優賞 | ハティ・マクダニエル (風と共に去りぬ) |
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脚色賞 | 風と共に去りぬ (シドニー・ハワード) |
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