1960年代のアカデミー賞の受賞者とノミネートの一覧です。(アワード・ウォッチ編集部)
年 | 作品賞 | |
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1969年 | 「オリバー!」 | 詳細↓ |
1968年 | 「夜の大捜査線」 | 詳細↓ |
1967年 | 「わが命つきるとも」 | 詳細↓ |
1966年 | 「サウンド・オブ・ミュージック」 | 詳細↓ |
1965年 | 「マイ・フェア・レディ」 | 詳細↓ |
1964年 | 「トム・ジョーンズの華麗な冒険」 | 詳細↓ |
1963年 | 「アラビアのロレンス」 | 詳細↓ |
1962年 | 「ウエスト・サイド物語」 | 詳細↓ |
1961年 | 「アパートの鍵貸します」 | 詳細↓ |
1960年 | 「ベン・ハー」 | 詳細↓ |
1960年代の映画界では、普及してきたテレビに対抗するため、大スクリーンならではの魅力をアピールしようと、大作とミュージカルが多く製作されました。
アカデミー賞では、「アラビアのロレンス」「ベン・ハー」といった映画史に残る超々大作が作品賞などを席巻しました。
また、ミュージカルも名作が続々と登場。作品賞10本のうち、4本(「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエスト・サイド物語」「マイ・フェア・レディ」「オリバー!」)をミュージカルが占めました。ただし、60年代末になるとミュージカル映画が興行不振に陥り、1970年代から冬の時代に入ります。
1964年には、シドニー・ポワチエが黒人俳優として初めてオスカーを受賞しました。
英国ミュージカル「オリバー!」が作品賞、監督賞など5冠。本命不在のやや地味な争いとなった。
主演女優賞で、キャサリン・ヘプバーン(冬のライオン)とバーブラ・ストライサンド(ファニー・ガール)が同点(タイ)となり、両者にオスカーが贈られた。当時、アカデミー賞の投票者は3030人に増えており、「奇跡のタイ」と言われた。
(1969年 | 1968年↓)
1969年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「オリバー!」
【配信:アマゾン】 監督:キャロル・リード ミュージカル。英国と米国の合作。 孤児院を飛び出し、幸せをつかもうとする少年オリバーの冒険。 「第三の男」「落ちた偶像」で監督賞にノミネートされた英国出身の巨匠キャロル・リード監督にとって、初めてミュージカル。 ディケンズの古典『オリバー・ツイスト』を、巧みな映像と演出で新鮮なミュージカルに仕上げた。 「最後の華麗なミュージカル映画」と呼ばれた。1960年代の映画界では、「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエスト・サイド物語」「マイ・フェア・レディ」の大成功に象徴されるように、ミュージカルの大作が多く撮られた。しかし、1960年代末になると、その商業的な失敗作が相次ぎ、衰退が始まった。実際、本作オリバー!を最後に、2003年の「シカゴ」までミュージカルが作品賞を獲ることはなかった。 例年に比べて、やや低レベルの争いだったと評されている。 <挿入歌「Where Is Love?」▼> <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | キャロル・リード (オリバー!) |
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主演男優賞 | クリフ・ロバートソン (まごころを君に) |
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主演女優賞 | 【ダブル受賞】 キャサリン・ヘプバーン(冬のライオン) バーブラ・ストライサンド(ファニー・ガール) |
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助演男優賞 | ジャック・アルバートソン (The Subject Was Roses) |
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助演女優賞 | ルース・ゴードン (ローズマリーの赤ちゃん) |
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脚本賞 | プロデューサーズ (メル・ブルックス) |
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脚色賞 | 冬のライオン (ジェームズ・ゴールドマン) |
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外国語映画賞 | 戦争と平和 (ソビエト連邦) |
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シドニー・ポワチエら主演の刑事ドラマ「夜の大捜査線」が作品賞、主演男優賞(ロッド・スタイガー)、脚色賞など5部門で受賞した。
アメリカン・ニューシネマの原点となった「俺たちに明日はない」と、青春映画の大傑作「卒業」も作品賞にノミネートされ、激戦となった。監督賞は「卒業」のマイク・ニコルズ監督が獲った。
当初授賞式を予定していた1968年4月8日の4日前に、黒人運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された。このため、授賞式が2日間延期された。
1968年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「夜の大捜査線」
【配信:アマゾン】 監督:ノーマン・ジュイソン 良質の犯罪捜査ミステリーであるとともに、人種差別の実像を描く社会派ドラマ。 黒人刑事が、米国南部ミシシッピ州で差別と闘いながら殺人事件を解決しようとする。 シドニー・ボアチエふんする理知的な黒人刑事と、ロッド・スタイガー演じる粗野な白人警官が主人公。殺人捜査の過程で人種偏見の壁を越えて協調する。 ロッド・スタイガーが主演男優賞を受賞した。しかし、シドニー・ポワチエは、ノミネートもされなかった。 ポワチエは、4年前に「野のユリ」で黒人男優として初めてオスカー主演男優賞を獲得。この作品での風格ある演技で、大スターの地位を不動のものとした。 やはりポワチエ主演で人種差別問題を扱った「招かれざる客」も作品賞にノミネートされた。この年のポワチエはさらに「いつも心に太陽を」でも主演として好演を見せており、票が割れたと言われている。 ジュイソン監督は「シンシナティ・キッド」「屋根の上のバイオリン弾き」「月の輝く夜に」「ザ・ハリケーン」などの名匠。 <予告編▼> Amazon(Blu-ray)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | マイク・ニコルズ (卒業) |
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主演男優賞 | ロッド・スタイガー (夜の大捜査線) |
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主演女優賞 | キャサリン・ヘプバーン (招かれざる客) |
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助演男優賞 | ジョージ・ケネディ (暴力脱獄) |
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助演女優賞 | エステル・パーソンズ (俺たちに明日はない) |
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脚本賞 | 招かれざる客 (ウィリアム・ローズ) |
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脚色賞 | 夜の大捜査線 (スターリング・シリファント) |
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外国語映画賞 | 厳重に監視された列車 (チェコスロバキア) |
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歴史伝記「わが命つきるとも」が、現代夫婦劇「バージニア・ウルフなんかこわくない」に勝った。「わが命つきるとも」は作品、監督、主演男優、脚色など6冠を制した。最多13部門ノミネート「バージニア・ウルフなんかこわくない」は、主演女優賞(エリザベス・テイラー)、助演女優賞など5冠。
1967年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「わが命つきるとも」
【配信:アマゾン】 監督:フレッド・ジンネマン 重厚で格調高い歴史劇。16世紀イギリスの思想家トーマス・モアを描く。絶対権力者の国王ヘンリー8世に屈せず、信念を貫いたモアの人物像に焦点を当てた。 ジンネマン監督は、「地上より永遠(とわ)に」(1953年)に続く作品賞&監督賞となった。 英国の舞台劇の映画化。モア役で主演男優賞を受賞したポール・スコフィールドは、根っからの舞台人であり、映画界では無名に近い存在だった。イギリス演劇界の底力を見せつけた。 夫婦喧嘩劇「バージニア・ウルフなんかこわくない」が本命視されていたが、オーソドックスな歴史劇に軍配が上がった。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | フレッド・ジンネマン (わが命つきるとも) ※「地上より永遠(とわ)に」(1953年)に続く受賞。「ハリウッドの良心」と呼ばれた。 |
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主演男優賞 | ポール・スコフィールド (わが命つきるとも) |
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主演女優賞 | エリザベス・テイラー (バージニア・ウルフなんかこわくない) |
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助演男優賞 | ウォルター・マッソー (恋人よ帰れ!わが胸に) |
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助演女優賞 | サンディ・デニス (バージニア・ウルフなんかこわくない) |
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脚本賞 | 男と女 (クロード・ルルーシュ、ピエール・ユイッテルヘーベン) |
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脚色賞 | わが命つきるとも (ロバート・ボルト) |
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外国語映画賞 | 男と女 (フランス) |
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ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」と、一大叙事詩「ドクトル・ジバゴ」の対決となった。結果は、サウンド・オブ・ミュージックが作品賞や監督賞など5冠。「ドクトル・ジバゴ」は脚色賞など5冠だった。
前年の「マイ・フェア・レディ」に続いて2年連続でミュージカルが作品賞に輝いた。
1966年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「サウンド・オブ・ミュージック」
【配信:アマゾン】 監督:ロバート・ワイズ ミュージカル映画の最高傑作の一つ。「ドレミの歌」「エーデルワイス」などおなじみの曲がいっぱい。家族向け映画の最高峰。 「ウエスト・サイド物語」でミュージカル映画に新風を吹き込んだワイズ監督が、再び一大巨編をつくりあげた。 第2次大戦前夜のオーストリアが舞台。ナチス・ドイツの魔手を逃れ、トラップー家の7人の子供たちを連れてスイスに脱出した家庭教師マリアの物語。子供たちに歌を教える。 1956年にもドイツで映画化されたが、本作は、ロジャース&ハ一マスタインの名コンビによるブロードウェイ・ミュージカル化の映画版。 アルプスでの壮大なロケも見どころ。 <ドレミの歌▼> <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 動画配信(Amazon吹替版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ロバート・ワイズ (サウンド・オブ・ミュージック) 1914年、インディアナ州生まれ。同州のフランクリン・カレッジを経て映画界に入り、音響編集の見習いから始めた。1941年、チーフ編集マンとして「市民ケーン」の製作を担当。1961年、監督として「ウエスト・サイド物語」を発表した。 「サウンド・オブ・ミュージック」の後も、スティーブ・マックイーン主演「砲艦サンパブロ」(1966年)、SF映画「スター・トレック」(1979年)などバラエティーに富んだ作品を次々と発表。 さまざまなジャンルで名作を生み出した多才な監督として活躍した。 2005年に91歳で死去。映画評論家の水野晴郎氏は「ボクシング映画『罠』で短く鋭く映像をつなぐ“スタカット・ダイレクト”で映画界に多大な影響を与えた。ミュージカルもので頂点を極めた監督だが、『地球が静止する日』などスペクタクルに社会的メッセージを込めることもできる稀有な監督だった」と惜しんだ。 |
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主演男優賞 | リー・マーヴィン (キャット・バルー) |
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主演女優賞 | ジュリー・クリスティ (ダーリング) |
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助演男優賞 | マーティン・バルサム (裏街・太陽の天使) |
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助演女優賞 | シェリー・ウィンタース (いつか見た青い空) |
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脚本賞 | ダーリング (フレデリック・ラファエル) |
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脚色賞 | ドクトル・ジバゴ (ロバート・ボルト) |
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外国語映画賞 | 大通りの店 (チェコスロバキア) |
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世紀の2大ミュージカル対決となった。「マイ・フェア・レディ」と「メリー・ポピンズ」。結果は、マイ・フェア・レディが作品、監督、主演男優など8冠に輝いた。メリー・ポピンズは主演女優など5冠。
1965年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「マイ・フェア・レディ」
【配信:アマゾン】 監督:ジョージ・キューカー ミュージカル大作。シンデレラ・ストーリーの代表的な映画として語り継がれている。豪華絢爛(けんらん)で楽しい。 オードリー・ヘプバーン演じる貧しい花売り娘が主人公。ロンドンの下町なまりを言語学者の指導で上品な英語に直し、貴婦人(フェア・レディ)に変身する。 アラン・ジェイ・ラーナーが脚本と作詞を、フレデリック・ロウが作曲を担当した。「運が良けりゃ」「踊り明かそう」など数々の名曲に彩られる。競馬場や舞踏会などのセットも称賛された。 英国の作家バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を基にした米ブロードウェーの舞台劇を、ハリウッドが映画化した。 巨額の資金で映画化権を獲得したワーナーブラザース社は、舞台でイライザ役だったジュリー・アンドリュースではなく、ヘプバーンを起用した。 ヘプバーンならではの美しさに、観客は魅了された。 <挿入歌「一晩中踊れたら」▼> <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ジョージ・キューカー (マイ・フェア・レディ) |
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主演男優賞 | レックス・ハリソン (マイ・フェア・レディ) |
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主演女優賞 | ジュリー・アンドリュース (メリー・ポピンズ) |
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助演男優賞 | ピーター・ユスティノフ (トプカピ) |
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助演女優賞 | リラ・ケドロヴァ (その男ゾルバ) |
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脚本賞 | がちょうのおやじ (S・H・バーネット、フランク・ターロフ、ピーター・ストーン) |
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脚色賞 | ベケット (エドワード・アンハルト) |
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外国語映画賞 | 昨日・今日・明日 (イタリア) |
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「トム・ジョーンズの華麗な冒険」が作品、監督、脚色賞など4冠。映画史上最大の製作費が投じられた「クレオパトラ」は作品賞などにノミネート。技術系のみ4部門を受賞しました。
シドニー・ポワチエが、黒人として初めて主演賞を獲得しました。
1964年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「トム・ジョーンズの華麗な冒険」
監督:トニー・リチャードソン 恋と冒険の人生喜劇 愛妻物語。自由奔放で義侠心あふれるトム・ジョーンズの恋の遍歴を描いた。 18世紀が舞台。大地主の邸宅に棄てられた男の子がトム・ジョーンズと名付けられ、養子として育てられる。 リチャードソン監督は、1960年代イギリス映画界の「フリー・シネマ」(怒れる若者たち)の代表的な存在だった。 歯切れのいいカッティングが心地好い。 2年連続でイギリス映画が作品賞をとった。原題は「Tom Jones」。 <予告編▼> Amazon(DVD)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | トニー・リチャードソン (トム・ジョーンズの華麗な冒険) |
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主演男優賞 | シドニー・ポワチエ (野のユリ) 黒人として初の主演男優賞となった。1927年生まれ。バハマ育ち。15歳のとき渡米し、軍隊を経て俳優に。1950年代のハリウッドで、唯一の黒人スターとして活躍。1958年の「手錠のままの脱獄」で、米アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。 |
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主演女優賞 | パトリシア・ニール (ハッド) |
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助演男優賞 | メルヴィン・ダグラス (ハッド) |
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助演女優賞 | マーガレット・ラザフォード (予期せぬ出来事) |
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脚本賞 | 西部開拓史 (ジェームズ・R・ウェッブ) |
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脚色賞 | トム・ジョーンズの華麗な冒険 (ジョン・オズボーン) |
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外国語映画賞 | 8 1/2 (イタリア) |
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歴史的な傑作「アラビアのロレンス」が快勝した。作品、監督など7部門を獲得し、同じく大作だった「史上最大の作戦」を突き放し。ただし、主演男優、助演男優、脚色賞を伏兵「アラバマ物語」にもっていかれた。
1963年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「アラビアのロレンス」
【配信:アマゾン】 監督:デヴィッド・リーン だれもが認める傑作。70ミリ映画が到達した究極の芸術作品として評価されている。「奇跡の映画」(スティーブン・スピルバーグ監督)とも呼ばれる。オスカー作品賞の歴代ランキング上位の常連。 英国映画。アラブの人たちから英雄とうたわれたイギリス人の波乱の半生を、大画面に描写した。第一次大戦下のアラビアを舞台に、将校ロレンスがアラブ民族統一のために奔走する。アラブとイギリスの間で板挟みとなる理想主義者の苦悩と挫折が描かれる。歴史物語としてだけでなく、人間ドラマとしても秀逸。 砂漠を捉えた神秘的な映像美と演出が絶賛された。主役ピーター・オトゥールなどの演技陣も圧巻。音楽も見事。 リーン監督に2度目の監督賞が与えられ、撮影賞、美術・装置賞など7部門で受賞した。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | デヴィッド・リーン (アラビアのロレンス) |
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主演男優賞 | グレゴリー・ペック (アラバマ物語) |
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主演女優賞 | アン・バンクロフト (奇跡の人) |
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助演男優賞 | エド・ベグリー (渇いた太陽) |
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助演女優賞 | パティ・デューク (奇跡の人) |
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脚本賞 | イタリア式離婚狂想曲 (ピエトロ・ジェルミ、エンニオ・デ・コンチーニ、アルフレード・ジャンネッティ) |
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脚色賞 | アラバマ物語 (ホートン・フート) |
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外国語映画賞 | シベールの日曜日 (フランス) |
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ミュージカル映画に新境地を拓いた「ウエスト・サイド物語」が作品賞を含む10部門を制し、圧勝した。ミュージカル映画としてはオスカー史上最多の受賞。
1962年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「ウエスト・サイド物語」
【配信:アマゾン】 監督:ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス ミュージカル映画の最高傑作の一つ。 『ロミオとジュリエット』をニューヨークに置き換え、大胆にアレンジした。 下町の若者群像を活写。ハリウッドに新しい息吹を吹き込んだ。 大都会で人種的対立をする若者たちというテーマは、今なお古びることのない今日的なテーマ。 2021年に名匠スピルバーグ監督によって再び映画化された。 日本の若者たちにも絶大な影響を与えた。この映画を見て、ミュージカルの道を目指した人も多い。 「トゥナイト」や「アメリカ」などの歌は日本でも大ヒットした。最初の日本公開時は、銀座の映画館で1年以上の記録的なロングランとなった。 1960年代はミュージカル映画の黄金期だった。1970年代に入ると映画は特撮やCGの時代へ突入した。進化したリアリズムに、ファンタジーを描くミュージカルが合わなくなり、制作数も激減した。 しかし、1990年代から2000年代にかけて「エビータ」「シカゴ」「ムーランルージュ」などが大ヒットし、復調した。 <挿入歌「アメリカ」▼> <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス (ウエスト・サイド物語) アカデミー賞史上はじめて、ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンスの共同監督2人に監督賞のオスカーが渡された。 ブロードウェイの舞台を映画化した作品。本作が登場するまで、ミュージカルといえば楽しいおとぎ話という印象が強かった。だが、ジェローム・ロビンズ監督がまず舞台において現実感のあるミュージカルを作り出した。ワイズ監督は、その現実性をさらに追求した。 ワイズ監督は、後に「サウンド・オブ・ミュージック」でもオスカー監督賞を受賞した。 |
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主演男優賞 | マクシミリアン・シェル (ニュールンベルグ裁判) |
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主演女優賞 | ソフィア・ローレン (ふたりの女) |
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助演男優賞 | ジョージ・チャキリス (ウエスト・サイド物語) |
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助演女優賞 | リタ・モレノ (ウエスト・サイド物語) |
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脚本賞 | 草原の輝き (ウィリアム・インジ) |
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脚色賞 | ニュールンベルグ裁判 (アビー・マン) |
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外国語映画賞 | 鏡の中にある如く (スウェーデン) |
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サラリーマンの悲哀を等身大に描いたコメディ「アパートの鍵貸します」が、作品、監督、脚本など5冠。西部劇のスペクタクル大作「アラモ」を破った。
1961年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「アパートの鍵貸します」
【配信:アマゾン】 監督:ビリー・ワイルダー サラリーマン・コメディ。昇進を目的に自分の部屋を上司の浮気用に貸し出すサラリーマンの、悲哀とおかしさを描いた。 ビリー・ワイルダー監督は、2度目の監督賞を受賞。プロデューサーとして作品賞、共同執筆者として脚本賞も獲り、計3つのオスカーを授与された。 <予告編▼> Amazon(Blu-ray)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ビリー・ワイルダー (アパートの鍵貸します) |
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主演男優賞 | バート・ランカスター (エルマー・ガントリー/魅せられた男) |
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主演女優賞 | エリザベス・テイラー (バタフィールド8) |
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助演男優賞 | ピーター・ユスティノフ (スパルタカス) |
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助演女優賞 | シャーリー・ジョーンズ (エルマー・ガントリー/魅せられた男) |
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脚本賞 | アパートの鍵貸します (ビリー・ワイルダー、I・A・L・ダイアモンド) |
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脚色賞 | エルマー・ガントリー/魅せられた男 (リチャード・ブルックス) |
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外国語映画賞 | 処女の泉 (スウェーデン) |
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「ベン・ハー」が史上最多となる11部門の受賞を達成した。1998年「タイタニック」に並ばれるまで、38年間にわたり「史上最多受賞」の称号を単独で守った。
1960年 | ||
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部門 | 受賞 | ノミネート |
作品賞 | 「ベン・ハー」
【配信:アマゾン】 監督:ウィリアム・ワイラー 史上最強のスペクタクル映画。 オスカー史上最多の11部門の受賞という金字塔を打ち立てた。現在も「タイタニック」「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」と共に最多記録を保持している。 ワイラー監督は3度目の監督賞。そのほか、主演男優賞(チャールトン・ヘストン)、助演男優賞も獲っており、技術部門にとどまらない勝ちぶりも見事。 古代ローマが舞台。ローマ帝国に支配されるユダヤ王族の若い当主ベン・ハー(架空の人物)の波乱に満ちた生涯を描いた。約3時間半の超大作。 ワイラー監督は、それまでのスケールだけ大きい史劇ではなく、カメラのフレームに収まるすべてに細心の注意を払い、リアリティーを出すことに成功した。 当時として史上最大の製作費が投じられており、全てがケタ違い。CGが発達していない時代であり、生身の人間がすべてをこなす。ロケによる撮影ならの生々しさと説得力は凄まじい。 とくに有名なのが、馬が牽引する「古代戦車」の競争シーン。主人公ベン・ハーが、復讐とプライドを懸けて宿敵メッサラと激突する。映画史上の不朽の一こまとして知られている。7.3ヘクタールの競技場は1年半かけて建設した。本番と練習用に戦車を18台つくった。動員したエキストラは延べ12万5000人。8分41秒のシーンのために、3カ月半の撮影を行った。 「グラディエーター」「スター・ウォーズ/エピソード1」などにも影響を与えた。 ベン・ハーと同時代に生きたイエス・キリストの受難劇とが、並行して描かれるのがポイント。一大宗教の誕生前夜の胎動が、観客に強烈な印象を残す。 【興行収入】米国の興行収入は1959年、1960年の2年連続で年間1位になった。 日本では1959年に7位、1960年は1位だった。 【あらすじ】ローマ帝国の支配下にあったユダヤの都エルサレム。この街の王族で若き大富豪のベン・ハーと、ローマ帝国の指揮官メッサラは幼なじみだった。しかし、権力欲に走ったメッサラによってベン・ハーは反逆罪のぬれぎぬを着せられ奴隷船に。母と妹まで投獄され、怒りに燃えたベン・ハーはメッサラに復讐を誓う。 <予告編▼> 動画配信(Amazon字幕版)→ 説明ページ→ |
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監督賞 | ウィリアム・ワイラー (ベン・ハー) ※3度目の監督賞。 |
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主演男優賞 | チャールトン・ヘストン (ベン・ハー) 米国映画界が生んだ最大の巨星の一人。映画評論家・品田雄吉は「端正なルックスと立派な体格に加え、格調高い演技でハリウッド大作に箔(はく)をつける役割を果たした」と評した。 頑強な体と不屈の意志を持った人間の役が多く、「華やかなりしハリウッドのカラーワイド画面の歴史大作に必ず出てくる大スター」(映画評論家の白井佳夫)。その代表作が本作であり、ローマ帝政下で数奇な運命をたどる青年を熱演した。 1924年、米イリノイ州生まれ。高校時代に演劇に興味を覚え、大学で演劇を専攻。兵役から帰還後、1950年の「虐殺の街」でハリウッドデビューを果たした。 「地上最大のショウ」(1952年)でサーカス団長を演じて注目を集め、「十戒」(1956年)の予言者モーゼ役で名声を確立した。 1968年の「猿の惑星」でSF分野に新境地を開いた。 高齢になってからも、1996年の映画「ハムレット」に出演。英国の伝統的な舞台出身の俳優たちのなかで、ひけをとらない演技を見せた。 俳優仲間からの人望も厚く、1966年から5年間、SAG(米俳優組合)の会長を務めた。銃規制派のクリントン大統領と対立した。 1960年代の公民権運動に参加し、同運動指導者のキング牧師を支援。1963年のワシントン大行進に加わり、キング牧師が「私には夢がある」と演説した際には演台のそばに立っていた。 ケネディ大統領ら民主党政治家を支持していたが、1970年代に保守色を強めてニクソン大統領を支持。友人だったレーガン大統領ら共和党政治家を応援した。 銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)の会長を1998年から5年間務めた。銃社会を批判し、オスカーでドキュメンタリー賞を受賞した「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年)でも、マイケル・ムーア監督の突撃取材を受け、持論を展開した。 2008年、この世を去った。享年84歳。64年間連れ添った愛妻にみとられた。2002年にアルツハイマー病を告白していた。 |
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主演女優賞 | シモーヌ・シニョレ (年上の女) |
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助演男優賞 | ヒュー・グリフィス (ベン・ハー) |
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助演女優賞 | シェリー・ウィンタース (アンネの日記) |
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脚本賞 | 夜を楽しく (ラッセル・ラウズ、クラレンス・グリーン、スタンリー・シャピロ、モーリス・リッチリン) |
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脚色賞 | 年上の女 (ニール・パタースン) |
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外国語映画賞 | 黒いオルフェ (フランス) |
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